旧(香港)総督府
悲劇の裏側と風水事情
香港総督府はイギリスの長官が公務を行う為に作られた建物で、1843年に香港がイギリスの植民地となってから8年後の1851年に建設。その後、日本の植民地時代には日本の総督府として使用され、戦後はまたイギリスに返還された後、香港へ返還され2年後の1999年7月1日、香港の旧総督府は正式に「香港礼賓府」と改称された建物です。
長官の突然の不運
香港は戦後~1997年までは、イギリス領でした。その為、イギリスの高官が香港に派遣されていました。その高官が使用する建物が『旧香港総督府』でした。しかし突如、その高官である長官達に不運が襲ったのです。
<長官歴任期間表>
- サー・エドワード・ユード:1982年5月~1986年12月、心筋梗塞で突如亡くなる。
- デビッド・クライブ・ウィルソン卿:1987年4月~1992年2月、大事故に遭遇に、大手術を受ける
- クリストファー・フランシス・パッテン男爵:1992年7月~1997年6月、長官就任後間もなく、心臓の外科手術を受ける
ある年を境に、歴任した長官に不運が襲ったのです。その原因が「中国銀行の建設」にあったのです。左の写真がその「中国銀行タワー」のモノです。一体何故、このタワーの建設が悲劇を生むようになったのでしょうか?これには風水が暗躍しているのです。
不運風水の実施
凶相デザインの威力!?
中国銀行タワーの特徴は、『反射+鋭角デザイン+超高層階』です。これが、風水に関係しています。中国銀行の建設が始まったのは1984年。この時、香港は数多くのイギリスの外資系銀行が多数存在し、その中でも有力銀行がHSBC(香港上海銀行)でした。そこで、中国銀行は風水を使ってライバルであるHSBCの経営力を弱める事を思いついたとされます(真意は不明)。その結果、一時的ですがHSBCを初の赤字に追い込む事に成功しております(HSBCはすぐに対策を講じ黒字に転換済)。しかし、その矛先は「旧香港総督府」にも向けられていたのです。右の2つの写真は、旧香港総督府の背後の写真です。中国銀行タワーの角が建物に向かって刺さっている様に見えます。
『殺』
風水では尖ったデザインを忌み嫌い「殺」と呼びます。総督府の背後に突き刺さっています。その名の通り、悪い意味を持ち、その力が強ければ強い程、悪影響を及ぼします。この殺は、人に対して『心臓の病気』をもたらす意味も持っています。3名の長官の不運の原因と合致します。風水が人の命を奪い・不幸にした実例です。
その事を物語るかのように、1997年に就任した初代の香港行政長官:「董建華」行政長官は 旧総督府の使用を嫌い、政府総部(セントラル合同庁舎)に同弁公室を置き、旧総督府は礼賓府と改名し、一般公開する事にしました。この事件は地元の香港では非常に有名な風水の話です。ちなみに、この事件が、ヨーロッパに風水が広まるきっかけになったとも言われています。
無知が招いた悲劇
偽物風水師の存在
次のページに行く前に少し、風水教室を行いたいと思います。
この事件が起きた際、イギリス政府は動きました。2人目の不幸が起きた際に「風水師」に問題解決の依頼をしているのです。その時の先生が提案したのが、これでした。
- 「殺が見えなくなるように、樹木を植えて建物を隠して下さい」
写真にある様に、多くの木が植林されています(日本でも「殺」は木を植えて見えなくすると吉と、放映されていたのを見たことがあります)。しかし、この風水トリック後に3人目の被害者が出てしまいました。残念ながら、このトリックを提案したのは風水を知らない「偽風水師」である事が判明しました(実際はただの占い師でした)。正しい技術を行わないと、逆に悪い影響を強めてしまう良い反面教師の例として有名になりました。正しい対処策は木を植える事では無かったのです。間違った知識は不幸を呼ぶ危険性を秘めている教科書となっております。